それでは聴いてください

フリートークからの曲紹介に繋げるラジオ形式のブログ

タオルが捨てられない

実家を出て4年目。当初買い集めたタオルの毛がゴワゴワになってきた。急いで買い替えるほどの劣化ではないものの、替え時が近づいてきてはいる。

しかし私にはタオルが捨てられない。

劣化してきているとはいえ、かつて新品だったあのタオルたちは、そのフワフワの毛でお風呂上がりの、まだ自活というものに慣れていない色んな意味で無防備な私をただただ包み込んでくれたのだ。

そもそも私は毛のある物に弱い。テディベアが好きだからだろうか。どんなに汚れていようと、劣化していようと、新品の頃はふわふわだったであろうものを処分することにどうも罪悪感を持ってしまう。ぬいぐるみが心理的に捨てづらいというのはよくある話だが、私の場合はその感情の守備範囲がタオルにまで及ぶ。

 

古くなったタオルには多様な用途があることは知っている。たとえば雑巾にするなど。

「タオルウエス」といって、タオルを小さく切って使い捨ての雑巾にするという方法があることを最近知った。非常にエコで、サステナブルで、地球に優しくしたい人々にはぜひお勧めしたい。でも私にはできない。初めての一人暮らしで買った思い入れのあるタオルを切り刻むのは、かわいがっていたペットを剥製にするのと同じような残酷さがある。だったらいっそ、ゴミ箱という棺桶に入れて、「ありがとう」と言って送り出したい。そしてせめて、鼻を噛んだティッシュや肉のパックやらが入ったものとは別に、きれいなゴミ袋を用意して、古いタオルだけを入れてお別れしたい。

 

ところで実家のタオルは9割がゴワゴワである。ときどき帰ると若干新しそうなものもあるが、大半は10年くらい使っている気がする。母の場合は毛のある物への罪悪感ではなく、単にタオルへのこだわりが無いだけだ。だから私は一人暮らしを始めた時、新品のタオルの柔らかさに心底感動した。値段に関係なく、新品は本当に柔らかい。西友のセット売りの安物タオルも、無印のこだわりタオルも、ふわふわでぬいぐるみのようだった。

 

新品のタオルの尊さを教えてくれたのも、古くなったタオルたち。

これから少しずつ、入れ替えていこうと思う。もうあの頃ほど、無防備ではないので。