観てもいない24時間テレビが私の就職を決めた夏
就活をしていた頃、8月の終わりに内定が出た。あまりにも先が見えないので大学院に行こうと決めた矢先だった。
就職できなかったから大学院、なんていうとクズの極みでしかないが、もともと大学院進学を希望していたので、進路を戻しただけの話だ。
しかし、わざわざ研究期間中(バカンス)の教授にその旨をメールまでしたところで「やっぱり働きます」と言えば、教授を混乱させることになる。私の進路はこれまでにも二転三転していたのだ。
<大学3年秋>
「大学院進学します。」
実際、他大学大学院のパンフを取り寄せたり、自校の入学試験の過去問を購入していた。
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<大学3年冬>
「(大学院受かるか自信ないので)並行して就活もやります」
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<大学4年春>
いつのまにか本気モードで就活している。
「就職します」
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<大学4年夏>
「就職できそうにないし、大学院行きます」
そうだよやっぱり私はライターになりたいし、そのためには大学院行って教養を深めた方がいいよ。というのが表立った理由だったが、ライターになるにはあまりにも無知過ぎたので次の2年間で勉強をし直そうと思っていたのが実情だった。
そもそも学部生の間、私はろくに授業を聞いていなかった。高校までが厳しかったので、大学に入ってからは「勉強したら損」くらいに思っていたのだ。そのうえ就活を切り抜ける能力すら持ち合わせていなかった。すいませんけど大学院行きますわ。
私はカラオケで受付に延長連絡をするのと同じ程度の心持で、3年次に所属していたゼミの教授にメールで、院進学をすることと、先生の研究室に入りたいですとの旨を伝えた。
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*2日後(たぶん)*
「えっとごめんなさいやっぱり就職…」
先日面接を受けてきた会社から選考結果のメールが届いていた。
また貴殿のご活躍をお祈り申しやがるのかと思ったけれども、就職をやめた(諦めた)自分には隣の家の喧嘩くらいどうでもよかった。
が、しかし。
このお祈りメール長くね?お経でも書いてあるのか?
“3次選考を免除し、内定を出させて頂くことになりました”
(あとで人事から聞いたが、もう一度面接に呼んでも私の評価が下がることはないだろうと判断し、早めに結果を出した方がお互いのためだということでこの時点で内定を出してくださったという。)
まじか・・・
教授また混乱させるじゃん。モラトリアム延長するって決めたじゃん。
希望外の金融や不動産だったら迷わずに内定を蹴ったと思う。しかし内定をくれたのは番組制作会社で、これは音楽や執筆活動以外で唯一やりたいと思える仕事ができる業界でもあった。規模は小さく、給料も決して高くないが、民放キー局の有名番組にばかり人を派遣している。それも私が一番好きな日本テレビがメイン。下手したら夢一個叶うぞ…
もしかしたら来年は24時間テレビを生で見れちゃったりする?!
でも大変だろうな。どうせ自分が表に出たくなっちゃってヤキモキしたりするんじゃないか?だったら大学院行って論文でも書いてた方がいいんじゃないか?
会社からの内定メールには「承諾します」とすぐに返信したが、内心断ることも考えていた。迷って大学のキャリアセンターにも相談しに行った。少なくとも10月1日までなら問題なく断れるそうだ。あと1か月検討できる。
気休めに、2ちゃんねるの「次の人が決めてくれるスレ」で、「就職するか進学するか」という書き込みもしてみた。次の人の答えは就職だった。まあそうだろうなと思った。
9月半ば、今からでは大学院入試の勉強は間に合わないと思ったのか、頭は就職する方向で固まっていた。悩みどころは内定先の待遇へと変わり、以前から利用していた就職支援サービス会社へ再び面談しに行ったり、そこで勧められた内定持ちの学生のみを対象にしたサービスに登録して、もっと給料の良い会社を探したりもした。
その結果出した答えは、
やっぱり24時間テレビ作ろう、だった。
「生で観よう!」ではなく、「作ろう」だった(気がする)
幼少期からあまりテレビを見せてもらえない家で育ち、大学生になっても自発的にリモコンを触る習慣すらなかった私が、まともに観たこともない24時間テレビに携わろうと思って就職を決めた。たしかに給料は良くないけれど、一人暮らしする予定がないから気にする必要もないと判断した。
この後はもう迷わなかった。
1日だけの研修は簡単な動画作りで、撮影編集は全く苦にならなかった。金融なんて行かなくてよかったと心から思った。小難しい専門用語ばかり聞かされる研修だったら耐えられなかっただろう。
それから、テレビを観る頻度を増やした。
テレビ業界で働くなら当たり前だが、番組のことをろくに知らないと、配属先候補との面談時に不利になるからである。人生で初めて、テレビを見ることが正当化された。
無事、希望の番組に配属されたが、24時間テレビには全く関わらなかった。手伝いとして駆り出されるスタッフもいるがそれは少数で、24時間テレビは私にとって、他部署の仕事でしかなかった。しかもテレビ局は巨大な組織なので、他部署というのは最早、別の職場みたいなものだ。
とはいえ、関わりたかったなーとは特に思わなかった。ただでさえ寝不足で疲弊していたのでむしろ安心したくらいだ。
内定をもらってからちょうど1年が経とうとしていた、8月の終わり。同期と仕事帰りに飲んだとき、こう言ったのを覚えている。
「あたしさ、働きたくないんだよね。印税で生きていきたい。」
化粧の取れかけたすっぴんみたいな顔でこんな台詞を言った自分を思い出すと恥ずかしいが、同期は否定も肯定もせずに、一瞬クスッと笑った。
同期のうち何人かは、長くいるつもりはないとか、東京オリンピックが終わったら辞めるとか、っていうかもう今すぐやめたいとか、事務職がいいとか言っていたくせに、今も私以外は全員健在だそうだ。強いなお前ら。尊敬するわ。
(そしてほんの少し羨ましい)
新しい仕事、やりたくない?
やりたくない、よな。
辛くて辛くて死にそうでも、そこでしかできないことがあって、それを棄てるにはそれなりの覚悟が必要なんだろう。
むしろ9時5時の仕事の方が"Dirty work"なんだよな。
Austin Mahoneで、Dirty workでした。
【 追記】
ブルゾンちえみ様、完走おめでとうございます!!!
今度から「ちえ姐」って呼びたい。