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フリートークからの曲紹介に繋げるラジオ形式のブログ

ブルゾンちえみはお笑いタレントなのか

 この記事を読んだ。概ね同意するが、ブルゾンちえみに関しては思うところがあったので一ファンとして持論を書いていく。

azanaerunawano5to4.hatenablog.com

 

そもそもブルゾンちえみのネタは、過剰な化粧をしたブルゾンちえみが男を二人従え、いい女風に「新しいガム、欲しくない?」と言い放つ。
この仕草とルックス、そのギャップに笑いが生まれているのはとても重要な要素。

 

→ルックスといっても、ブルゾンちえみの場合は顔面偏差値のような縦軸だけではなく、顔立ちの種類、つまり横軸がポイントなのではないかと思う。彼女の売りの一つに「アメリカかぶれ要素」が挙げられるが、見た目も中身も育ちも日本人である彼女が「アメリカらしさ」をインストールし、リアルに体現しているところにギャップや斬新さがある。女性なら更に憧れも感じる。メイクの技術と、「女に生まれたワタシ」を惜しみなく全開にしていく姿勢に対してだ。日本人女性を縛り付ける大和撫子像をさりげなく蹴り飛ばしてくれるような爽快さ、いや豪快さと言った方が相応しいだろうか。

ありのままの自分を全開にする姿勢は、メイクにも表れている。最大の特徴は、太いアイラインを引いた目。パッと見は分かりにくいが、完全に一重である。ネットで一重の女性が上げているメイク動画の大半は、アイプチやアイテープ等で二重を作って、別人のような顔に仕上げるのが主流だが、ブルゾンメイクは元の顔立ちを上手く活かしている。あのエキゾチックな目は、むしろ一重でないと再現できない。もっとも、ブルゾンちえみの顏になりたいかと問われてイエスと答える女性が多いとは決して思えないが、アジアンビューティーを活かすメイクとしては技術的にも結構参考になる。

 

笑いは多元的。
(中略)
ブルゾンのネタには、音ネタ的な側面もある。
(中略)
笑いの構成要素は多面的であり、複合的。

 笑いだけではなく、お笑いタレントのあり方自体も多元的だと思う。お笑いタレントは「芸人」とも呼ばれるが、文字通り受け取れば「芸をする人」であり、その「芸」は人を笑わせることだけに限らない。本人の特技を以て初めて成立するコントも多い。アキラ100%のお盆返し、ゆりやんレトリィバァのピアノ、にゃんこスターの縄跳び等々…これらはどれも、技術が高いほど笑いが取れるし、笑いと共に歓声も生まれる。お笑いタレントであれば笑いを取ることが本来はメインだが、笑いより歓声を多く取るコントも新しい芸の形として存在可能だし、ブルゾンちえみはそのタイプなのではないだろうか。実際、『35億』の動画コメント欄に書かれていた内容のほとんどが、「なんだか中毒になる」と「おもしろくない」に二極化していたことも、ブルゾンちえみのコントは笑いがメインではないことを裏付けている。本人は笑いを取るつもりだったかもしれないが(おそらくそうだろうが)、少なくとも世間はネタの内容以外で惹きつけられている。では、ネタ以外の部分とは何なのかというと、前述したとおり日本人女性がひそかに憧れるアメリカナイズされた女性像(メイクも含む)と、彼女の色っぽい声である。そのカッコよさとエロさを最大限にプロデュースしているのが、BGMで使われている『Dirty Work』で、これがまたグルーヴ感といいテンポといい、妙な中毒性を持っている。カッコいい、エロい、ノっちゃう、この3拍子が生み出すのは「いいぞブルゾン!もっとやれ!!」という歓声である。

私はブルゾンちえみが大好きだが、実はあまりネタで笑ったことがない。「面白い」という言葉は日本語では一つだが、彼女の面白さを英語で表すなら「funny」ではなく「interesting」ではないかと思うし、お笑いという枠を取っ払って評価するなら、「cool」という表現が私には一番しっくりくる。とはいえ、最初のうちは「お笑いなんだから笑わなきゃ…」という先入観に囚われ、歓声を強制的に笑いに昇華していたこともあった。他のファンの方々はどうなのだろう。ネタの動画に書かれた肯定的なコメントを見る限りでは、ネタそのものより立ち振る舞いや本人自身への賞賛の方が見受けられるけれど、純粋に笑えるファンはどのくらいいるのだろうか。

 

というか、ブルゾンちえみはそもそも「お笑いタレント」なのか。

個人的には一種の「パフォーマー」だと思うけれど。

 

今度はこの曲でやってほしいな。

Selena Gomez&The Sceneで『Love You Like A Love Song』

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