それでは聴いてください

フリートークからの曲紹介に繋げるラジオ形式のブログ

普通には生きられないことを知った

年末あたりで気づいた。私の人生は初期段階でハードモードに設定されていたということに。

 

もともと私は底辺の人間だ。それなりの学校を出て、それなりに身なりを整えて表面的に世間に溶け込んでも、私の中身は底辺である。平穏に生きられているだけで奇跡なのに、どうして人から認められたいとか愛されたいとか思ってしまうんだろう。

 

そもそも今生きているのは、肉体的な苦痛を恐れて、消えて無くなりたいという本音から目を背けてきたからである。死ぬのが怖いから仕方なく生きている。それだけだ。

小学生の頃、中学生の頃、就活をしていた頃…もうこんな人生辞めようと思った。そう考えると私はある意味何度も死んでいるんだから、死んだつもりで生きればよかった。死というのは無になることだから、いったん全てを捨ててしまえば、あとは増えるだけである。お茶してくれる友達がいるだけで幸せ、病気をせずに過ごせるだけで幸せ、好きな服が買える程度のお金が稼げるだけで幸せ。そんな、足し算の人生が始まる。

なのに、そもそも何も持っていない私が、全てを人並みに持っている前提で引き算の人生を生きている。あれがない、これがない、もっと欲しい、全然足りない。

足りるわけがないのだ、私はもともと、何も得られない人生に生まれたんだから。いわゆる「フツーの人」にしてみれば、ただの努力不足にしか思えないだろうが、それは違う。こちらはあれこれ試行錯誤し、工夫し、挑戦してきたがそれでも何も得られない。当たり前だ。私の拡張子は世間様に対応していないのだから。WMAiOS端末では再生できないのと同じである。それを変換する術もない。フツーの人が言う「努力すれば?」は、「ファイル名編集して拡張子書き換えればいいじゃんww」と同じだ。そう簡単にできるならとっくにやっているし、無駄なアドバイスは不要。

生きていて恥ずかしい。

 

でも、とりあえずあったかい納豆ご飯を食べよう。