icloudの容量制限がなくなれば世界は平和になると思う
まただ。また怒られた。
“iphoneバックアップに失敗
このiphoneをバックアップするのに十分なiCloudの容量がありません。”
設定を見てみると、「過去43週間バックアップが生成されてい」ないらしく、ストレージのほとんどを「写真と動画」が占めていたので、先日思い切って画像データのバックアップを消し、画像系のデータバックアップはGoogleフォトに一任することにした。PCからGoogleDriveにアクセスして、データが見られることを確認したので、画像&動画データのバックアップ体制は整ったし、iCloudストレージの空き容量は大幅に増えた。増えたもなにも、ストレージの9割近くが空き容量になった。だが一筋縄ではいかないのがリンゴちゃんの司るiCloudだ。なにせ、それでも容量が足りないと訴えかけてくるのだから。
最近、Macを使い始めたのだが、動画編集用のフォルダ(糸魚川取材の)をデスクトップに作った途端、またiCloud殿がiphoneのバックアップできねーぞゴルァと言ってきたんである。何故ですかと尋ねたら、そのデスクトップに保存したフォルダがiCloudにバックアップされているんだと。これは、どの端末からでも同じデータにアクセスできる便利な仕組みなんですと。なるほど…ってふざけるな。お主そのフォルダに何が入ってるかご存知なのか?!ビデオカメラCX-675で撮ったフルHD動画データですぞ。サイズがスマホで撮った写真の比じゃない。そらiCloudストレージも瞬殺でしょうが。
かくして私は、MacのデスクトップにあるデータをiCloudに自動バックアップする設定を解除した。その際、何やら意味不明なメッセージが出たが、まあ大丈夫だろうと思い、作業を続行した。
すると……
デスクトップからフォルダが消えた。
焦ってググったら、同じ事をやらかした人が記事を出していて、それによるとどうやら先ほどの意味不明なメッセージがこの現象の予告だったらしい。記事では、データが完全な形で保存してされている場所についても触れていたため、動画編集作業はすぐに再開できた。全く、余計な事をしてくれるものである。
しかしそれでもまだiCloudが怒る。何かと思ったら今度はストレージを「書類」がパンパンにしていた。これを解消するには、iCloud Driveをオフにすればいいらしいのだが、LINEのバックアップがここに保存されることが判明し、再びオンにせざるを得なくなった。
どーすりゃいいのもう。
iCloudの容量制限を無くせば世界は平和になるのに。
ユーザーたちの虹色の戦争リンゴが殺したデータの歌が(以下略)
2/3(土)企画ライブ『歌力発電所-音楽をエネルギーに-』を主催します
諸事情あって告知遅れました。私が主催するライブのお知らせです。
JuRi presents.『歌力発電所-音楽をエネルギーに-』
2月3日(土)
<場所>代々木Barbara
<Open> 11:45~
<Start> 12:00~(14:30頃終了)
<チケット>前売り¥2,500/当日3,000(1drink別)
【出演】
12:00~12:25 へっぽこドラ丸(※マジック)
12:30~12:55 山田けいと
13:00~13:25 RiN
13:30~14:20 JuRi
【予定セットリスト】(順不同)*はオリジナル
*リアルシンデレラ
*8月の残像
*ロンリー論理
*カンランシャ
*default
*卒業論文
Moments/浜崎あゆみ
ダンシングヒーロー(Eat you up)/荻野目洋子
異邦人/久保田早紀
【備考】
*ご覧のとおり、私JuRiは1時間歌いますが、皆さまは適宜休憩をお取りください。そして応援お願い致しますマジで!!
*しょっぱなのへっぽこドラ丸くんはマジシャンです。ボーカルスクールで知り合った方なので、歌も歌えるのですが、せっかくなので本業のマジックで出演をお願いしました。
*ちなみにイベントタイトルを当初『歌力発電所、再稼働~音楽のメルトダウン~』にするつもりだったのですが、共同企画者の佐々木パイセンにそれはちょっとまずいだろと怒られたので、何とかしてポジティブな方向にチェンジしました。
才能、被爆してください(爆)
LikeとLoveの関係を図で表してみた
緑茶のティーバッグで被害妄想する回
緑茶を飲もうとしたらテーバッグのパックがこんな風になりまして、
(再現)
『ここからおあけ下さい』という、誰もが平等に与えられた入口を見事に塞いでしまっている。生まれたときから負け組とはこのことか。
別のところから開けようとするも、パックが伸びるだけで開く気配はない。
「なにやってんのww不器用だねwwww」
という声が聞こえる。第一印象が大切、とはこのことか。
いや、たまたまだよ。基本的には細かい作業得意なんだよ。これだけで勝手なイメージ持たないでよ…
せめて1ミリか2ミリでも切込みが入れられれば開きそうなのに…その切込みが入れられないから行き詰っているわけで。
仕方ない、ハサミを使おう。すいません、ハサミ借してください!
「ハサミの使用はご遠慮いただいております。規則ですので。」
「でも、はさみ使えばすぐ解決しますよ、ほら!」
「…皆さん同じ条件でやっていただいてますので。」
頼む相手を間違えたわ。友達に借りようかな。
「あ~なるほどね…でも、はさみ持ってないんだ。力になれなくてごめんね!」
分かってくれただけでもありがとう。自分で手に入れるしかなさそうだな。
でもお金がない。
それから数年後、社会人になり、ようやく自分のお金ではさみを買うことができた。
遠かった 遠かった~でも・・・お茶おいしい
“これでもまだ悪くはないよね”
ブルゾンちえみはお笑いタレントなのか
この記事を読んだ。概ね同意するが、ブルゾンちえみに関しては思うところがあったので一ファンとして持論を書いていく。
azanaerunawano5to4.hatenablog.com
そもそもブルゾンちえみのネタは、過剰な化粧をしたブルゾンちえみが男を二人従え、いい女風に「新しいガム、欲しくない?」と言い放つ。
この仕草とルックス、そのギャップに笑いが生まれているのはとても重要な要素。
→ルックスといっても、ブルゾンちえみの場合は顔面偏差値のような縦軸だけではなく、顔立ちの種類、つまり横軸がポイントなのではないかと思う。彼女の売りの一つに「アメリカかぶれ要素」が挙げられるが、見た目も中身も育ちも日本人である彼女が「アメリカらしさ」をインストールし、リアルに体現しているところにギャップや斬新さがある。女性なら更に憧れも感じる。メイクの技術と、「女に生まれたワタシ」を惜しみなく全開にしていく姿勢に対してだ。日本人女性を縛り付ける大和撫子像をさりげなく蹴り飛ばしてくれるような爽快さ、いや豪快さと言った方が相応しいだろうか。
ありのままの自分を全開にする姿勢は、メイクにも表れている。最大の特徴は、太いアイラインを引いた目。パッと見は分かりにくいが、完全に一重である。ネットで一重の女性が上げているメイク動画の大半は、アイプチやアイテープ等で二重を作って、別人のような顔に仕上げるのが主流だが、ブルゾンメイクは元の顔立ちを上手く活かしている。あのエキゾチックな目は、むしろ一重でないと再現できない。もっとも、ブルゾンちえみの顏になりたいかと問われてイエスと答える女性が多いとは決して思えないが、アジアンビューティーを活かすメイクとしては技術的にも結構参考になる。
笑いは多元的。
(中略)
ブルゾンのネタには、音ネタ的な側面もある。
(中略)
笑いの構成要素は多面的であり、複合的。
笑いだけではなく、お笑いタレントのあり方自体も多元的だと思う。お笑いタレントは「芸人」とも呼ばれるが、文字通り受け取れば「芸をする人」であり、その「芸」は人を笑わせることだけに限らない。本人の特技を以て初めて成立するコントも多い。アキラ100%のお盆返し、ゆりやんレトリィバァのピアノ、にゃんこスターの縄跳び等々…これらはどれも、技術が高いほど笑いが取れるし、笑いと共に歓声も生まれる。お笑いタレントであれば笑いを取ることが本来はメインだが、笑いより歓声を多く取るコントも新しい芸の形として存在可能だし、ブルゾンちえみはそのタイプなのではないだろうか。実際、『35億』の動画コメント欄に書かれていた内容のほとんどが、「なんだか中毒になる」と「おもしろくない」に二極化していたことも、ブルゾンちえみのコントは笑いがメインではないことを裏付けている。本人は笑いを取るつもりだったかもしれないが(おそらくそうだろうが)、少なくとも世間はネタの内容以外で惹きつけられている。では、ネタ以外の部分とは何なのかというと、前述したとおり日本人女性がひそかに憧れるアメリカナイズされた女性像(メイクも含む)と、彼女の色っぽい声である。そのカッコよさとエロさを最大限にプロデュースしているのが、BGMで使われている『Dirty Work』で、これがまたグルーヴ感といいテンポといい、妙な中毒性を持っている。カッコいい、エロい、ノっちゃう、この3拍子が生み出すのは「いいぞブルゾン!もっとやれ!!」という歓声である。
私はブルゾンちえみが大好きだが、実はあまりネタで笑ったことがない。「面白い」という言葉は日本語では一つだが、彼女の面白さを英語で表すなら「funny」ではなく「interesting」ではないかと思うし、お笑いという枠を取っ払って評価するなら、「cool」という表現が私には一番しっくりくる。とはいえ、最初のうちは「お笑いなんだから笑わなきゃ…」という先入観に囚われ、歓声を強制的に笑いに昇華していたこともあった。他のファンの方々はどうなのだろう。ネタの動画に書かれた肯定的なコメントを見る限りでは、ネタそのものより立ち振る舞いや本人自身への賞賛の方が見受けられるけれど、純粋に笑えるファンはどのくらいいるのだろうか。
というか、ブルゾンちえみはそもそも「お笑いタレント」なのか。
個人的には一種の「パフォーマー」だと思うけれど。
今度はこの曲でやってほしいな。
Selena Gomez&The Sceneで『Love You Like A Love Song』
単位落とす系の替え歌に使った曲リスト
シャングリラ/チャットモンチー
シャングリラ 再履修だって叫んでくれよ
ときには僕の胸で泣いてくれよ
シャングリラ 夢の中でさえ単位取れない
君のことダメな人って叱りながら愛していたい
必修英語をまた落としたよ
笹舟のように流れてったよAh Ah〜
試験思うと今日も眠れない
僕らどこへ向かおうかAh Ah〜
シャングリラ 再履修だって叫んでくれよ
ときには僕の胸で泣いてくれよ
シャングリラ 楽な授業で単位落としても
君の足引っ張って離さない
大丈夫さ
(2番あるけど割愛)
タッチ/岩崎良美
試験を止めて1秒 教授真剣な目をしたから
そこから解答(こたえ)書けなくなるの留年ロンリネス
きっと学部の人をおざなりにして知らずに臆病なのね
落ちた単位も見ないフリ
再履修や再試験をあと何回過ぎたら卒業ができるの
お願い単位 単位 ここに単位
教授から (単位!)手を伸ばして受け取ってよ
ため息の数だけコピペレポート
教授(あなた)がくれた再履修全部落としてしまえばいいね
2人で単位数えたけれど留年ロンリネス
1人涙と単位測ってみたら涙が少し重くて
ダメね大学(キャンパス)で泣いてみた
再履修はね心の痣
知りすぎてる教授に授業は空回り
お願い単位 単位 ここに単位
教授から (単位!)手を伸ばして受け取ってよ
ため息の数だけコピペレポート
異邦人/久保田早紀
その姿は昨日までの何も知らない私
単位にこの指が届くと信じていた
However/GLAY
絶え間なく続く再履修を
留年と呼ぶことができたなら
【おまけ】
作ったのは私ではないが、友人の先輩(優等生)が歌っていたというこの替え歌が一番好き。
隣同士あなたとアタシ再試験
(もう一回!)
普通には生きられないことを知った
年末あたりで気づいた。私の人生は初期段階でハードモードに設定されていたということに。
もともと私は底辺の人間だ。それなりの学校を出て、それなりに身なりを整えて表面的に世間に溶け込んでも、私の中身は底辺である。平穏に生きられているだけで奇跡なのに、どうして人から認められたいとか愛されたいとか思ってしまうんだろう。
そもそも今生きているのは、肉体的な苦痛を恐れて、消えて無くなりたいという本音から目を背けてきたからである。死ぬのが怖いから仕方なく生きている。それだけだ。
小学生の頃、中学生の頃、就活をしていた頃…もうこんな人生辞めようと思った。そう考えると私はある意味何度も死んでいるんだから、死んだつもりで生きればよかった。死というのは無になることだから、いったん全てを捨ててしまえば、あとは増えるだけである。お茶してくれる友達がいるだけで幸せ、病気をせずに過ごせるだけで幸せ、好きな服が買える程度のお金が稼げるだけで幸せ。そんな、足し算の人生が始まる。
なのに、そもそも何も持っていない私が、全てを人並みに持っている前提で引き算の人生を生きている。あれがない、これがない、もっと欲しい、全然足りない。
足りるわけがないのだ、私はもともと、何も得られない人生に生まれたんだから。いわゆる「フツーの人」にしてみれば、ただの努力不足にしか思えないだろうが、それは違う。こちらはあれこれ試行錯誤し、工夫し、挑戦してきたがそれでも何も得られない。当たり前だ。私の拡張子は世間様に対応していないのだから。WMAがiOS端末では再生できないのと同じである。それを変換する術もない。フツーの人が言う「努力すれば?」は、「ファイル名編集して拡張子書き換えればいいじゃんww」と同じだ。そう簡単にできるならとっくにやっているし、無駄なアドバイスは不要。
生きていて恥ずかしい。
でも、とりあえずあったかい納豆ご飯を食べよう。